それでも私が働く理由:駐妻の社会復帰
海外を転々と単身赴任していた夫との別々の生活が何年も続き、次に海外赴任になった時には、今度こそついて行こうと思っていた私。
夫がシンガポール赴任になった際に一大決心をして、会社を辞めました。
そんな我が家でしたが、シンガポールで暮らすこと一年数ヶ月で、念願だった日本の自宅で2人で暮らす生活を手にすることが出来て、この3月に日本に本帰国して戻って来ました。
このGW明けからは夫の会社通勤が始まりましたし、私もそろそろ就職活動を開始しなければならない時期なのですが、
自分は一体何のために働くのか、、、
また働き始めようと思っている今、初心に返ってもう一度、その意味を考えてみたくなりました。
女性が働く意味
そもそも前職を辞める際には一悶着ありました。
実はシンガポールに支店があったので、例え家族の都合とはいえ、もし私が男性だったならば、恐らく転勤させて貰えていたと思うのですが、
現実として言われたのは、
「旦那さんが働いているんだし、無理に働く必要はないでしょ」
というものでした。
前の会社は少し変わった業界だったこともあり、完全に男性社会。
独身の女性は数人、第一線で活躍している人はいて、
結婚している女性が家庭と仕事の両立をするために事務職をするには良い会社でしたが、
女性は男性のサポート役、という見方が強い会社だったように思います。
学生時代はずっと女子だけの環境で育ち、社会人になって最初の会社が航空会社という女性優位の会社だった私にとっては、
「世間って実は、男性社会だったんだ」と、カルチャーショックを受けた場所でもありました。
女性が社会で活躍するには、男性と競い合って頑張る道もありますが、そうやって片意地を張っているうちにギスギスしてくることも多く、
それよりは、女性にしか出来ない「気配り」や「気の回し」、「共感」などで男性との差別化を図り、心に余裕を持ちながら、自分がいなくては回らないような頼りにされる存在になる道を選んで来た気がします。
女性には家庭を優先する時があり、それは、子育てだったり、介護だったり、私のように旦那さんの転勤だったりと人それぞれ。
今でも海外赴任に帯同すると言うと、「羨ましい」と言われることが多く、世間ではそんな女性を「駐妻」などと称したりもしますが、
女性が働く今の時代、駐妻は家庭に(旦那さんの会社に)振り回されるので、
自分のキャリアを諦めたり、中断したり、再就職の際には苦労したりすることになり、そんなに良いものではない、と、正直思います。
とはいえ私は、特に男女平等を唱えたり、仕事を優先する生き方がしたいわけではないので、
多くの男性のように仕事に専念できる環境ではないことも承知していますし、
主婦をしながら働く兼業主婦という形が自分に合った生き方なのだと思っています。
人生においては何事にも、ちょうど良いバランス力が重要である
まるで名言かのようにハイライトした上の一節は、名言でも何でもなく、いつも私が思っていることなのですが、
- 男性が昔のように家庭を顧みずにがむしゃらに働く時代ではなくなっている今
- 女性が外に出て働くことが当たり前になっている今
女性が働くことの意味というのはどういうことなのだろう、と思うのです。
確かに、夫の収入だけでも生活はしていけるかもしれませんし、女性が働く時代だとはいえ、専業主婦に従事されている方もいらっしゃる訳なので、私が専業主婦になる道もあるとは思うのです。
ただ、私の人生において、いまだかつて一度も、専業主婦になろう、とか、なりたい、と思ったことがなく、
それは専業主婦を馬鹿にしているわけでは決してなく、ただ単に、自分の中に働かないという選択肢がないだけなのです。
では何故私は、働くのか、、、
お金のため?
もちろんそれはありますよね。
ワークライフバランスという言葉を頻繁に耳にするようになった昨今、労働時間が減れば収入も減るわけで、そのせいで共働きをする家庭もあるでしょうし、
自分で稼いだ分、家計が楽になるのは言うまでもないですものね。
でももし仮に、働かなくても十分に食べていけるようなお金があったとして、、、私の場合はそれでも働くと思うのです。
生き甲斐のため?
私が前職を辞めることになった際に、女性の同僚から言われたのが、
「男の人は分かってないよね。旦那さんの稼ぎだけで生活していける・いけないと言うことの前に、女性だって仕事に生き甲斐を持っているんだから。」
そう言われた時、私はすぐに同意を返すことが出来ませんでした。
何故なら「生き甲斐」と言う言葉がピンと来なかったから。
確かに、人間関係には大変なことも多いですが、仕事そのものは好きなのだと自分でも思うのです。
でも仕事に生き甲斐を持っているのかと言うとそういう訳でもなく、、、
どちらかと言うとむしろ逆で、余暇を楽しむために働いている気がするのです。
普段働いているからこそ、お休みの日が貴重であり、より楽しめる気がしますし、
普段働いているからこそ、お休みの日にダラダラしても、罪悪感なく、至福だと思える気がするのです。
罪悪感や不安から逃れるため
脳みそは使っていないと退化し、使えば鍛えられるものと聞いたことがあります。
私が働きたい一番大きな理由は、脳みそを使っていたいからかもしれません。
例え働いていなくても、勉強をしているのであればまだ安心出来るのですが、
それでもやっぱり「働ける状態で時間もあるのに、働いてお金を稼いでいない状態」というのがどうしても勿体なく感じてしまって、
働いていないことへの罪悪感や不安がどこかにあるような気もします。
私は専業主婦の母親に育てられているのに、何故なのでしょうね?
罪悪感だとか不安だとか書くと、ネガティブな印象ですが、それが正直な思いなので仕方ないですね。
自分をにとって働くという構図
ただ、もし前述のように、罪悪感や不安から逃れるというような、そんな強迫観念だけで働いているのであれば、働くことが辛いだろうと思うのですが、
私にとって働くということは楽しいことでもあるのです。
働いているときに得られる、頑張って何かを達成した時の恍惚感が好きですし、
今まで知らなかったことを知って自分の知識が広がり、
今までは難しいと思っていたことがどんどん出来る様になって、スキルが上がっていくことが楽しいのです。
ですので同じことを繰り返す仕事では、私にとっては働く意味があまりないので、
それを世間では生き甲斐と呼ぶのであれば、結局私が働く理由は「生き甲斐」なのかもしれませんが、
人生においての生き甲斐=仕事
という構図にはしっくりこないのです。
結局のところ、私にとって働くということは、
努力する=>達成感を味わう=>報酬を手にする=>ご褒美のように余暇を楽しめる
そんなポジティブな構図で回っているものなのかもしれません。
あとがき
働く理由は人それぞれ、自分に合った働き方というのも人それぞれですよね。
今から就職活動をする上で、ネックになるのは、ブランク・年齢・コロナ不景気。
それに加えて天気や気温で乱れがちな自律神経。。。
とても一筋縄ではいかないと思うのです。
そんな時に一番重要なのは、自分が何のために働くのかを再認識することと、自分のやりたい最終目標を常に念頭に入れて、それを実現するための軌道から外れないことかな、と思っています。
そうしないとすぐ見失っちゃうもので
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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