育った環境の影響?実家の「普通」が世間とずれていた話
今年のお正月は私の両親宅に、私たち夫婦と弟家族が集まることができました。
コロナ禍のご時世、こうやって家族が無事に集まれることに心から感謝ですよね。
姪っ子ちゃんも1歳になり、よちよちとまるでペンギンのように可愛らしく歩くので、もうメロメロです。
そして帰りに諏訪湖べりにある片倉館という古い洋館の日帰り温泉施設に行ったのですが、
ここがまたなかなか珍しい立ち湯でして、大人だと胸の高さくらいまであります。
この片倉館を私が訪れたのは、約40年ぶり2度目のこと。
1度目は祖母と弟と一緒に3人で行ったのですが、弟と二人で床に足がつかないのが怖くて、湯船の淵にしがみついていたのを覚えています。
そもそも弟が女湯に入っていた時点で、恐らく当時幼稚園児くらいだったのではないかと思うのですが、今回久しぶりに訪れて、時の流れを感じました。
そんな今回は、実家の話を書きたいと思います。
育った環境のせいで後から反動が出たり、実家で普通だと思っていたことが世間とずれていたってこと、よくありますよね?
買い食いの衝動
うちの母親は家族で外出するときに必ずお弁当を作ってくれる人なのです。
外で食べるのが勿体無いから、ということで、ペットボトル飲料が普及した今でも、お茶ですらポットに入れて持参します。
お陰で私が子供の頃に家族で出掛けるときに、買い食いや外食をすることがありませんでした。
高速のサービスエリアはトイレ休憩のみ。
他の人が出店やフードコートで美味しそうな料理を買っているのに憧れつつ、ねだっても買ってもらったことがなかった子供時代。
お陰で今、外出するときには買い食いしたくて仕方がないという反動があり、、、
太るからダメ
いらないよ
と、、、今では母親に代わって夫に止められる始末です。。。
手作りの有り難さ
うちの母は専業主婦の鏡のような人で、外食しないどころか色んな物が手作りでした。
子供の頃の毎日のおやつも手作りで、プリン、ケーキ、ドーナツ、フルーツジュースなど、手作りのものしか食べていなかったので、
友達の家でおやつに出てきたプッチンプリンの美味しさに感動し、スーパーで見かけてねだってみましたがやっぱり買ってもらえず、、、
今から考えると物凄く贅沢ですよね
珍しいものが美味しく思えたのでしょうけど、手作りプリンの方が美味しいに決まってるのに
カップラーメンを初めて食べたのは小学校の高学年になってから。
レトルトのカレーの存在を知ったのは小学6年生の林間学校の時でした。
手編みのセーターや手作りのバッグなども、今なら有り難みがわかりますが、当時はなんだか恥ずかしくて、みんなと同じように既製品が欲しかった。。。
新鮮な物の味
うちの祖父母は畑をしていたので、小さな頃から新鮮なきゅうりやトマトをよく食べさせて貰っていました。
子供の頃住んでいた家の周りにも農家さんがあってそこで野菜を売っていたので、子供の頃食べていた野菜は採れたてのものが多かった気がします。
だから小学生になって、給食で出てきたスカスカのキュウリやパサパサのトマトにビックリした覚えがあります。
それから私が子供の頃は父親の友人が東北の海辺に住んでいて、毎年お中元で木箱に入った塩辛を送ってくれていたのです。
その塩辛がとっても美味しくて、子供の頃から塩辛が大好物でした。
大人になって初めて居酒屋さんで塩辛を頼んだら、生臭くて美味しくなくてビックリしたこともありましたっけ。。。
最近はスーパーの野菜のレベルも上がった気がするので、おいしくない野菜を食べる機会も減りましたが、それでも日本全国を旅するようになると、北海道や四国などの野菜の美味しいこと!
野菜や魚の美味しい場所で育った人はきっと、東京のスーパーで買った食材を食べて、美味しくなくてガッカリした経験があるのではないでしょうか。
あとがき
母が完璧な専業主婦だったので私にはとても真似できませんし、立場上の専業主婦になった今でも専業主婦とは名乗れない自分がいます。
母のような家事は全く出来てませんし、甘んじて「プー子」を受け入れてます
ということで今回は、育った環境の影響で反動が出た話と、実家の普通が世間一般とずれていた話を書きました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※ご家庭の「普通」が世間とはズレていた方も、いなかった方も、コチラ↓を、、、