シンガポール国旗の意味から「人生のモットー」について考える
ステイホーム生活を丸3ヶ月過ごした後、この土日を久しぶりに遊び倒したら、
あまりの運動不足がたたって2日間体調不良でした💦
こんにちは、シンガポール在住、当ブログ管理人のこどらです。
先日お伝えしたのですが、新型コロナのパンデミックを受けてなのか、マリーナベイサンズがシンガポールの国旗にライトアップされていました。
(その写真はコチラからご覧いただけます。)
シンガポーリアンにとって国旗は重要な意味を持つ大切なもので、その取り扱いについても決まりがあるらしいのですが、
最近HDBと呼ばれる集合住宅などに国旗が掲げられているのをよく目にします。
私が最近気づいただけで、実は前からいつもそうだったのかもしれないのですが、
HDBの窓に、上から下までずらっと国旗が並んでいる様子はとても印象的です。
今回は、そんなシンガポール国旗の意味と、それを見ていて考えさせられた人生のモットーについてまとめてみたいと思います。
シンガポールの国旗の意味
シンガポールの国旗は、上半分が赤、下半分が白で、上の赤地に三日月と5つの星が配置されているもの。
赤は親愛と平等を、白は清澄と高潔を。
三日月は発展する若い国家を、5つの星は民主・平和・進歩・正義・平等の理念を表しているそうです。
ここ最近の新型コロナでの政府の対応を見ていると、何となくではありますが、5つの星の理念がこの国にはしっくりくる気がします。
人生のモットーについて考えてみた
シンガポールの国旗に籠められた意味を見ていたら、やっぱり人にも人生のモットーが必要なんだよなあ、、、と思ったワタシ。
「これとこれが人生のモットーです」と言える人はあまりいないと思いますし、
「そんなこと考えたこともなかった」という人の方が多いのではないかと思うのですが、
人は迷いやすく忘れやすい生き物なので、人生の指標のようなものはあるに越したことがないのですよね。
で、恐らく、ワタシも含めて例え今まで考えたことがなかった人も、実は意識していなかっただけで、
心か頭のどこかに人生のモットーを持っているものだと思うのです。
新型コロナで身に染みたのは、
1日1日の大切さ、今日を無事に過ごせてまた明日が来ることへの有り難み、何でもない日常の幸せ、などなど。。。
前から思っていたことではありますが、
一度しかない人生をただ過ごしていたら勿体ない!!!
やりたいことを出来る時に出来るだけ沢山して、毎日を楽しく過ごしたい!!!
と、より強く思うようになりました。
特に40代にとっては「将来」とか「いつか」というのは「今」のことなので、
ここらでちゃんと人生のモットーを意識して、今からの人生を後悔しないように過ごしたいと思ったのです。
今回はその流れから、自分にとっての人生のモットーって一体何なんだろう、、、と考えてみました。
何事にもバランス力
全てにおいて、必要、且つ、重要なことは「バランス力」だと思っているワタシ。
何かに偏り過ぎると視野が狭くなりますし、偏屈になってしまいガチ。
一歩引いて物事を全体から眺めると解決策が見えたりもするものです。
仕事と家庭のバランス、オンとオフのバランス、こだわりと気にしない領域のバランス。
適度な運動、適度な気晴らし、適度な愚痴。
諦めずにやり続ける力と発想を転換し臨機応変に対応する力。
物事には全て両面があり、両極端の力を同時に求められることもあります。
なので、全てはバランス力次第だと思うのですよね。
良いところは認め、悪いところは真似しない
人の良いところを見て、素直に認められる自分であり続けたいと思っています。
そのためには「自分に与えられているものに感謝する」ことが大切ですよね。
人それぞれ持っているものは違い、とかく他人の芝生は青く見えがちです。
自分自身や環境を受け入れて、認めて、感謝してさえいれば、妬みや嫉みといった嫌な感情は浮かんでこないものだと思うのです。
また、嫌な人・気に入らない人がいる場合には、だからと言って意地悪をしたり、批判や攻撃したりするのではなく、
その人の嫌な部分を自分は真似しないようにすればいいだけなんですよね。
批判や攻撃(対面でも影口でもネットだったとしても)をしている自分の顔はきっと不細工です。
そんなことをしても、実はスッキリなどしなくて、虚しかったり悲しくなったりするだけですしね。
自分の行いは自分に返ってくる
自分のしたことはいずれ自分に返ってくるもの。
ですので人にされた嫌なことは、受け流して忘れるに限ります。
外的要因に引きずられて心が曲がったり、ひねくれたりしたら勿体ないので、
自分は自分で行いに気をつけて、曲がらずに真っ直ぐであり続けたいと思っています。
嫌なことをする人は、その嫌なことが回り回ってその人に戻るだけなので、放っておけばいいんですよね。
そういう人はきっと幸せにはなれないし、一見幸せそうに見えても実は不幸だったりするものだと思うのです。
だから流されず、外的要因に引きずられず、自分は自分で。
ステイポジティブ
同じ生きるなら、まだ起きていないことをあれこれ心配するよりも、ポジティブに過ごしたいと思います。
若い頃はワタシも心配症だったのですが、色々なことを経験するうちに、
悩んでも仕方ないことはもう考えるだけ時間の無駄
という境地に達して、今ではすっかりポジティブになりました。
歳を重ねると逞しくなるものですねえ。。。
だから20代の頃の、儚いようなか弱いような繊細さは、30を超えるとだんだんなくなっていってしまうのでしょうか。
何だか少し寂しいような、、、
でもまあ、強くならなきゃ生きていけないですから、仕方がないのでしょうね。
時には自分に言い訳も必要
この先の人生を作るのは今日の自分。
その思いが強過ぎるのか、はたまた貧乏性なのか、、、常に何かをしていないと罪悪感に苛まれるワタシ。。。
仕事をしている時は、仕事が言い訳になって、何もしないダラダラする土日も過ごすことが出来ました。
仕事をしていない今は、勉強するとか、準備するとか、ブログを書くとか、ともかく日々、前へ進むための何かが必要でして、、、
でも頑張りすぎると自分を追い込むので、普段頑張っていることを自分への言い訳にして、たまには何もしないことも大切です。
あとがき
みなさんの人生のモットーは何でしょうか。
新型コロナでステイホームすることが多くなった最近、この機会に考えてみるのも良いかもしれませんよね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。