今思い出しても笑える話と親友と人生と
部屋とワイシャツと私みたいなタイトルをつけてみました。
先日、このブログのとある記事で、料理の鉄人の名ゼリフ
「私の記憶が確かならば」
を引用させていただいたのですが、このセリフには個人的に思い出がありまして、、、
あれは私が若かりし日の、お肌もピッチピチのピッチピチだった女子高生時代のこと。
うちの高校は都内の女子校で、校則が厳しくバイト禁止。
それでもやっぱりみんな内緒でバイトするんですよね。
人前に出るバイトは見つかると大変なので、キムチの工場でひたすらキムチを詰めるとか、ベルトコンベアで流れてくる箱に商品を入れるとか、そういう仕事をしていました。
ある夏休みに、部活の仲間とみんでお弁当におかずを詰める工場にバイトに行っていた時のこと。
確か場所は品川駅辺りだったと思うのですが、朝が早くて、普通に通勤ラッシュの中を通っていました。
通勤電車の中というのは静かなものですが、そこは女子高生の集団。
小声を心掛けながらも、ついおしゃべりに花を咲かせてしまうのですよね。
そんな朝の山手線の車内で、ふと誰かが、先ほどの名ゼリフ「私の記憶が確かならば」みたいなことを言ったのです。
すかさず別の誰かが「何その料理の鉄人みたいなセリフ!」とツッコミましたよ。
そこでまたまた別の誰かが
「料理の鉄人の主宰の人、あの人の名前何だっけ?」
と言い出したのです。
その場の全員が名前を思い出せなくて、、、
えーーー、誰だっけ?ここまで出かかってるんだけど!!!
あれ?おかしい、有名なのに名前が出てこない!!!
などとザワザワしていたら、、、
次の駅で扉が開き、人がゾロゾロと降りていく中で、
一人の若いサラリーマンが降りがけに一言、
鹿賀丈史!
とささやいて去って行ったのです。
車内に取り残された私たち、一瞬キョトンとした後に、皆で一斉に
そーだー、鹿賀丈史だー!
と言って笑った思い出があるのです。
あれからもう20年、、、今でもその親友たちとの交流は続いていて、
一人はハワイへ嫁ぎ、もう一人は今シンガポールですが(←私のこと)、
LINEをしたり、たまにオンライン飲み会をしたり。
そんな時には今でもたまにこの話題が出て、昔と同じようにみんなで笑い合います。
今はそれぞれ別の生活があるので高校時代のように常にべったりではないけれど、
人生の半分以上を繋がって過ごしてきて、本当に有難くて大切な、家族みたいな存在です。
あの頃の私たちは、普通に結婚して、子供が生まれて、平凡で短調ながらも温かい家庭を築いて人生を過ごすものだとぼんやりと思っていたのに、
不思議なことに、普通に結婚して子供を産んで、平凡ながらも穏やかな人生を歩んでいる、、、なんて子が一人もいないのですよ。
みんな何かしら まさか自分が!?何で自分が!? ということを経験していて、
そうなってくると人生って本当に、
例え今まで自分には関係ない世界のことと思っていたようなことであっても、
世の中で起きる全てのことはいつ自分の身に降りかかっても不思議ではない
と思うのですよね。
人生で辛い時期と幸せな時期は皆に順繰りにやってくるものなので、
辛い時期はいつか明けるものと耐えて、その中にあるプラスの要素に目を向け、
幸せな時期には気を抜かないように用心しながらも、幸せに感謝して、満喫して、
人が幸せそうに見える時期には、自分にも順番で幸せが巡ってくるものと心得て無闇に羨ましがらず、
そうやってコツコツと生きていくしかないのですよね。
辛い時期には出口が見えなくて、それが永遠に続くような気がしてしまうけれど、
ようやく辛さから抜け出せても、またいつかこの辛さが巡ってくるのかと思うと心の底から疲れてウンザリしてしまうこともあるけれど。。。
、、、って、、、
今回は、思い出すと今でも笑える話からちょっとしんみりする話へと、高低差が激しくなりましたが、、、
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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